中国料理こそ、何千年も百草を舐めて培った薬膳の権化。
本年六月に創立五十周年を迎えた中村学園。その中村学園を創設し、学園祖と呼ばれている故・中村ハル先生の助手として中村割烹女学院の頃から長きにわたり、学園の発展と料理教育に力を尽くしてきた楠先生。主宰を務める『グルマンド』の会は、発足から二十五周年を数える。グルマンドとはフランス語で「食いしん坊」の意味。「豊かな食文化で明るい世の中をつくろう」と食事会スタイルの勉強会、チャリティー活動などの社会貢献を始め、さまざまな活動を展開されている。
福新樓創業100周年、おめでとうございます。私の中で福新樓を語るとき、何と言っても二代目社長の張兆順氏(現社長の祖父)との数々の出来事が浮かんできます。私がまだ若かりし頃、思い出の点心「銀杏の飴かけ」を上手につくる方法を教えていただきました。「そのまま飴に浸すのではなく、片栗粉をつけて軽く揚げ、それから飴をかけてごらん」と。その通りにやってみると、なるほど翡翠色した銀杏の飴かけが見事に出来上がり、うれしくて小踊りしたことを覚えています。
それがご縁となり、今は亡き中村ハル先生に、中国料理の食材を入手し、下ごしらえをしておくように」と申し付けられた際、やり方がわからず大変困り、かと言ってハル先生に聞き返す勇気もなく、何度も福新樓の厨房にお邪魔しました。当時は中国料理の知識人で頼みの綱と言えば、福新樓の料理人さんだけ。テレビ番組で中国料理が脚光を浴びるようになった昭和三十年代の出来事です。その後もお智恵を拝借したり、特殊材料を分けていただいたり、ずいぶん助けていただきました。お祖父様は人を大切にされる方で、私たちのような下っ端の若い者(当時)にも、親切に対応してくださいましたよ。
お祖父様亡き後は、三代目社長の仁興氏や谷口料理長に親交をいただき、今日まで中村学園およびグルマンドの会を通じて非常にお世話になりました。四代目の光陽氏は少年時代から存じていますので、二代目兆順氏から数えて福新樓とは、半世紀を超えるおつき合いをさせていただいています。
100年という歳月が食を豊かにし、私たちは世界中のあらゆる食べ物を口にできるようになりました。健康も幸せも食がベースになって培われていくように思います。食が狂っては世の中全体がおかしくなってしまう。だからこそ、福新樓のように本物を伝える魂を持った料理人を抱える店が必要なのです。
「天寿をまっとうし仙人になっても生き続けたい」と不老長寿を願う中国人。「福禄寿禧」は幸福とお金、寿命と喜びを表した中国人の願い。中国四千年の歴史を知る本場の料理が、歪むことなく代々受継がれている福新樓にエールを贈ります。中国の料理と文化継承のために、たゆまぬ努力を続けてください。
故・中村ハル先生が「明るい希望は若さを保つ。希望は生涯持ち続けるもの」とおっしゃっておられました。「希望は若い人だけのものじゃない。年をとってからこそ必要なんだ」とね。中村学園に四十六年間勤め上げた私ですが、食育に関すること、食を通した社会への貢献など、やりたいことがまだまだたくさんあります。「点が線になる」、好きな言葉です。その時々を一生懸命に生きていきましょう。そうすれば皆に平等に、やっただけのことが還ってくると思いますよ。
PROFILE
中村学園大学 名誉教授 農学博士
楠 喜久枝(すのき きくえ)さん
昭和4年福岡県に生まれる。
日本女子大家政学部児童科卒業。
中村料理学園助手、福岡高等栄養学校、中村栄養短期大学の講師、教授を経て、 平成10年に中村学園大学 名誉教授となる。
料理教育尽力の功績により、フランス、西ドイツより受勲。福岡県私立学校教育功労賞、文部大臣教育功労賞受賞。
中村専修学園理事、グルマンド「美食学びの会」主宰。
中村学園大学/福岡市城南区別府五の七の一