※創業120年を機に各種資料を調査し、新たに判明した事実を基にしております。2024年3月以前とは違った内容となっておりますことをご了承ください。
1888年(明治21年) | 加枝 決意する 現中華人民共和国、福建省生まれの福新楼初代 張 加枝は神託により東方日本へ向かうことを決意。 |
1889年(明治22年) | 来日する 加枝青年、不安と希望を胸に長崎の地に降り立つ。当時、東京、横浜、神戸、長崎などに設けられた外国人居留地へ、すでに居住していた500名ほどの福建華僑を頼っての来日。 |
1899年(明治32年) | 安政条約改正される 条約改正に伴い、外国人居留地以外の日本国内居住が許可された。加枝青年は倉庫番、貿易事務、出前持ちなどで貯めた資金を基に、全国を行商しながら居住地を探し歩き、地の利の良さから博多に決定。 |
1901年(明治34年) | 福新楼誕生 中洲大通り付近に福新楼を開店。ちゃんぽん、皿うどんなどがメニューの主体。材料を長崎から上等なものを汽車便で取り寄せていたため、素うどん2銭の時代にちゃんぽん10銭の金額で販売。福岡最初の本格中国料理ということで繁盛したが、明治37年の中洲大火事に巻き込まれ全焼。 |
1903年(明治36年) | 二代目誕生 加枝の長男として、後の二代目兆順が誕生。 |
1904年(明治37年) | 福新楼再開 東中洲電車道沿い「金星堂」近くにて営業を再開。後、映画館「世界館」裏付近に移転。以前のメニューに、ツバメの巣のスープ、ふかひれ煮込なども加え、より本格の中国料理店へと進化。たくさんの博多っ子が「うまか、うまか」といって食べ、口コミが広がっていく。 |
1914年(大正3年) | 福岡で初めてモヤシづくりに成功 第一次世界大戦勃発。当時野菜不足に悩まされていた福岡の人々のため、出入りの八百屋にモヤシの作り方を教え、成功。福岡でのモヤシづくりの始まりとなる。この時代、中州にドイツ人捕虜収容所があり、そこへ料理の差し入れに、ドイツ人は青島滞在中に中国料理になじみがあったため、大いに喜ばれる。 |
1927年(昭和2年) | 福新楼3階建てになる 東中洲映画館「友楽館」裏、通称小便横丁近くに移転。中国より資材を取り寄せて建築。 |
1930年(昭和5年) | 三代目誕生 二代目兆順に後の三代目、長男仁興が誕生。 |
1937年(昭和12年) | 日中戦争勃発 戦争勃発に伴い、材料入手が日増しに困難となり、開店休業状態。 |
1944年(昭和19年) | 戦火拡大、福新楼疎開 戦火の拡大に伴い、福新楼も強制疎開の対象に。とてつもなく大きな梁を利用し、しっかりと建築されていたので、予想以上に取り壊しに時間がかかる。 |
1948年(昭和23年) | 福新楼復活 東中洲仲ノ町で再オープン。中国料理以外にアメリカ進駐軍相手にビフテキハウスもオープン。 |
1951年(昭和26年) | 福新楼移転 テレビ料理教室の先駆者になる 二代目兆順指揮のもと、東中洲千日前に移転。より本格的な中国料理店として生まれ変わる。 以前から料理学校の講師などは務めていたが、このころからテレビの料理教室にも講師として出演、ユーモアを交えた教え方で視聴者からも人気があった。テレビ料理教室の先駆者となる。 |
1955年(昭和30年) | 初代死去 激動の時代を駆け抜けた福新楼初代、張加枝老衰のため死去。 福岡初の中国料理、モヤシづくりの他、製麺技術、博多豚骨ラーメンの調理法の伝授など福岡での中国料理技術伝承において欠かすことができない人物であった。 |
1957年(昭和32年) | 別館開店 三代目仁興指揮のもと、渡辺通5丁目に別館を開店。 |
1959年(昭和34年) | 四代目光陽誕生 三代目仁興の長男として後の四代目光陽誕生。 |
1965年(昭和40年) | 赤坂門店開店 仁興指揮の3店舗目となる赤坂門店を大名2丁目に開店 |
1968年(昭和43年) | 天神店開店 シンボルマーク決定 渡辺通店、赤坂門店を閉め、天神店を開店。後、中州店も閉店し、ここ1店舗に集中。 初代、三代目の干支が午(うま)であること、海を渡ってやってきたということにちなみ、シンボルマークを海馬「タツノオトシゴ」に決定。 |
1979年(昭和54年) | 新館開店 二代目兆順死去 天神店の南、国体道路側に新館を作り、国体道路を南北につなぐ大きな店舗として生まれ変わる。 この年、新館開店を見届け、二代目兆順死去、料理教室の先駆者として、中国料理の伝道師として福岡の皆様に愛された生涯に幕を閉じる。 |
1989年(平成元年) | 中国厨房 新界開店 四代目光陽の指揮により、中国厨房新界を福新楼北側隣に開店、中華屋台風居酒屋として一世を風靡する。 |
1992年(平成4年) | チャイナ・カフェ開店 四代目光陽の指揮により、チャイナ・カフェを福新楼南側に開店、気軽に利用でき、ゆっくりと過ごすことができる中国茶が飲めるカフェとして人気を博す。 |
2001年(平成13年) | 創業100周年 創業100周年を機に、次代を見据え、店舗の改装などの計画を始める。 |
2004年(平成16年) | 天神店大改装 Zhang‘s麺粥店開店 100周年計画の一環として、店舗大改装を行い、北側に新しくZhang‘s麺粥店を開店。お粥、湯麵をメインとした健康志向の店としてたくさんのお客様にご愛顧いただく。 |
2008年(平成20年) | 三代目仁興死去 戦中戦後、高度経済成長、バブル経済と激動の時代の中、指揮を執り、二代目と共に中国食文化の伝道に努めた。プライベートでは趣味のボディビルで初代ミスター九州の栄誉を獲得。その人柄も相まって、会葬の折には、1000名超の方にご弔問いただいた。 |
2014年(平成26年) | 今泉へ移転 天神店の店舗老朽化に伴い、今泉へ移転。天神店での学び、地震など天災への対策、バリアフリー化などを店舗設計に取り入れ、今まで以上にお客様にお喜びいただける店舗になる。 |
2020年(令和2年) | 店舗改装 張氏厨房開始 店舗4階宴会場を個室にし、高機能モニター、対面型キッチンを併設、張氏厨房の名前で一日12名様までのお任せコースを始める。 |
2022年(令和4年) | 店舗改装 全席ソファーシート 店舗1階レストランを全席ソファーシートへ改装、深紫外線殺菌装置付の空調設備を導入し、よりゆったりとお食事をお楽しみいただけるきれいな空間に生まれ変わる。 |