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其の七

1ダースの期待

大衆イメージと高貴な印象、
そのどちらも提供できるのが福新楼の実力でしょう。

昭和後期~平成と急成長を遂げてきた福岡の街を、真ん中から見つめ情報発信に尽力していたアストロさんが、大学院生となったのは四年前。現在は(財)福岡アジア都市研究所の主任研究員として、季刊 都市情報誌『fU(エフ・ユー)』の編集人を務めながら、街と関わり続けている。博士論文も詰めに入った十一月、『NEW TERRITORY』にお越しいただき、お話を伺った。

私は小学校一年生まで六本松で育ちました。その後もずっと福岡に住んでいますから、幼い頃に家族で出かけた飲食店と言えば『お多幸のおでん』、福ビル地下の『ロイヤル』、それに『福新楼』、この三軒は記憶に残っていますね。『福新楼』ではよく家族で皿うどんや焼飯、春巻きなどを食堂の延長感覚でいただいていました。中でも豚まんは好きだったなぁ。具がびっしり入っていておいしかった。子どもだったし、その一個でおなかいっぱいになって(笑)。豚まんのあのしっかりした皮が特においしかった。忘れられませんね。いま商品としてメニューにないというのが残念です。

中華料理をコースでいただく、その感覚が芽生えたのは社会人になってからでした。雑誌『an an』の特集にあやかって、わざわざ長崎まで食べに出かけていました。『銀嶺』『ハルピン』『康楽』『四海楼』……、懐かしい。

でも、よく考えると福岡にも本格派の中華のコースを食べることのできる店がある」「自分は幼い頃から食べに行っていたではないか」と、そう気付いてから皿うどんや豚まんだけでなく、福新楼でコース料理もお願いするようになりました(笑)。

タウン情報誌の編集をしていた頃にも、張社長にはずいぶんご協力いただきました。

お助けBANK』への情報協力やハローウィン仮装パーティの賞品提供など、『福新楼』にはずいぶん支えられました。中牟田洋一さんやてっしぃさんなどが一緒になって、民間主導の街おこしに燃えていましたね。

福岡の街への『福新楼』の功績は、中華料理の普及と並行して街を元気にするという二つがあると思います。「宴会好きが酒を酌み交わして、あげくに冷めた料理を口にする」気質の福岡に、中華料理は育たないと耳にしたことがありますが、「熱いものは熱いうちにいただく」それを教えてくれたのは『福新楼』です。中華未開の地を百年前から耕して来られた。表には出ないご苦労も多かったことでしょう。

中華料理に限らず福岡には、守り育てていくものがたくさんあるのに守ろうとしている人が少ない。せっかくの宝を発掘するだけの都市ではもったいない気がします。そう考えるとなおさら、中華の土壌が皆無だった土地で、百年も店を続けられている『福新楼』の実力を感じずにはいられません。宮廷料理に相当する高貴な中華のコース料理から、皿うどんやチャンポンなどの大衆料理まで、どちらも精通した料理人がつくる中華料理。これからも守り続けてください。

個人的な希望では、あの豚まんの復活を願っています。『新界』の空気感とチープな椅子の座り心地も、いつの日かまたよみがえってくれたら嬉しいな。

PROFILE

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(財)福岡アジア都市研究所 主任研究員
佐々木 喜美代(ささき きみよ)さん

福岡市に生まれ育ち、福岡大学卒業後プランニング秀巧社に勤務。『シティ情報ふくおか』二代目編集長の頃より周囲から「アストロ」と呼ばれるようになる。2000年同社を退社し、九州大学大学院に入学。博士課程に通いながら、現在は研究所の仕事にも尽力。

(財)福岡アジア都市研究所
福岡市中央区天神1-10-1 福岡市役所北別館六階

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